「睡眠は本当に必要なのでしょうか?」
世界各地で睡眠に関する講演を行っている私は、この質問をしばしば受ける。答えは明快だ。「はい。どんな人間であっても眠らなければなりません」。喉の渇きや食欲、性欲と同様に、睡眠欲求は生理的な本能である。しかし、人生の3分の1を無意識で過ごすことが、具体的にどのような恩恵をもたらすのかについては、長い間、科学者にとっても謎であった。

Woman sleeping. High angle view of beautiful young woman lying in bed and keeping eyes closed while covered with blanket. Stock photo
睡眠研究の第一人者アラン・レヒトシャッフェン(Allan Rechtschaffen)は、睡眠の機能が完全には解明されていないことを認めた上で、1978年に次のように述べている。
「もし睡眠に生命維持の機能がまったくないのだとしたら、睡眠は進化が犯した最大のミスだ。」
さらに1990年代、著名な睡眠研究者J.アラン・ホブソン(J. Allan Hobson)は、「睡眠の唯一確かな機能は眠気の解消だ」と皮肉を込めて語った。
しかし、過去20年間の研究によって、睡眠の必要性の一部が徐々に明らかになってきた。確実に言えることは、睡眠には複数の目的があるということだ。
免疫機能、ホルモンバランス、精神の健康、学習・記憶、脳内の老廃物の除去など、多岐にわたる生物学的プロセスを最適化するのに不可欠であると考えられている。ただし、睡眠が不足するとこれらの機能が完全に止まるわけではない。むしろ、睡眠は各システムの“性能を最大化”する役割を果たしているようだ。とはいえ、睡眠なしに何カ月も生きられる人間はいない。
こうした理解に到達するまでには長い時間を要した。かつては、皮膚表面から血液が引くことや、胃から温かい蒸気が上昇することが睡眠を誘発すると信じられていた。しかし20世紀末以降、脳波、呼吸、ホルモン分泌の日内変動などの詳細な測定が進み、睡眠の恩恵とそのメカニズムが徐々に特定されてきた。
皮肉なことに、睡眠が心身の健康に不可欠であるという研究が増える一方で、現代人が夜にモルペウス(ギリシャ神話の夢の神)のもとで過ごす時間は減り続けている。
■■■ 命取りとなる不眠症

睡眠が生命に不可欠であることを示す最も明確な例は、1989年にレヒトシャッフェンの研究室にいたキャロル・エパーソン(Carol Everson)が発表した実験である。彼女は、完全に睡眠を奪われたラットは1か月以内に死亡することを発見した。特に、ラットがレム睡眠(急速眼球運動を伴う睡眠段階)に入るのを阻止するだけでも致死的であった。
しかし、四半世紀以上経った今でもラットの死因は不明である。ストレス、過剰な代謝、体温調節異常、免疫不全などの可能性は調査されたが、どれも直接の原因とは認められなかった。
断眠による死亡はラット特有ではない。
致死性家族性不眠症(Fatal Familial Insomnia: FFI) は人間の遺伝性疾患であり、不眠が進行して死に至る。1986年、イタリア・ボローニャ大学のルガレシ(Elio Lugaresi)とメドリ(Rossella Medori)が、53歳男性の難治性不眠症と死の症例を報告した。彼の親族も同様に世代を超えて死亡していた。
男性の脳では、視床の2つの領域の神経細胞が大量に失われていた。視床は感覚入力の中継点として知られるが、感情記憶や睡眠紡錘波の生成にも関与している。
その後、1990年代後半、メドリらの研究により、病因はプリオン(異常な立体構造をとるタンパク質)であることが判明した。スクレイピーや狂牛病(BSE)と同様のメカニズムだが、FFI のプリオンは食事由来ではなく、遺伝的に受け継がれる。
幸いなことに、FFI患者を除き、断眠が直接の死因となった一般人の症例は報告されていない。しかし、人間が数カ月以上完全に眠らずに生存した例も存在しない。
■■■ 抗体とホルモン:睡眠不足の具体的影響

睡眠不足は免疫機能、ホルモン作用、代謝、脳機能に大きな影響を与える。以下は代表的な研究である。
● ワクチン免疫の低下
2003年の研究では、A型肝炎ワクチンを接種した学生の半数に徹夜を指示した。4週間後の抗体量は、
睡眠をとったグループが、徹夜したグループより97%高い値 を示した。
別の研究では、家庭での睡眠を記録し、B型肝炎ワクチン接種後の抗体量を測定したところ、
睡眠1時間の増加で抗体量が56%増加した。
さらに6か月後、平均睡眠6時間未満の人は、免疫が不十分になるリスクが7倍に上昇した。
● 代謝と肥満のリスク
シカゴ大学のヴァンコーター(Van Cauter)らの研究では、
睡眠時間を4時間に制限すると、インスリン作用が40%低下した。
別研究では、
睡眠不足により食欲ホルモン・グレリンが28%増加し、空腹感が23%増した。
50以上の研究で、睡眠不足と肥満リスク増加の関連が裏づけられている。
・子ども(6~9歳):睡眠不足 → 肥満リスク1.5〜2.5倍
・成人:睡眠6時間未満 → 肥満リスク50%増
● 感情と記憶
バークレー校のウォーカー(Matthew Walker)らの研究では、
一晩の徹夜で感情記憶の定着が著しく阻害されることが示された。
(まとめ)
睡眠は「単なる休息」ではなく、
免疫・ホルモン・代謝・記憶・感情・脳の老廃物除去など、多数の生命機能を最適化する生物学的プロセスである。
その重要性は多くの研究で明確になっているが、まだ全容は解明途上にある。

Happy woman stretching in bed after waking up.
