子供時代には学習が集中的に進む時期がある。この「臨界期」についての理解が進み、大人になってから脳の配線ミスを修正する新戦略が見えてきた。

ヘンシュ貴雄(ハーバード大学)
1. 幼少期の記憶と人格形成
あなたの音楽プレーヤーにはどんな曲が入っているだろうか。30歳を超えた人なら、おそらく10代のころに知った曲が含まれているだろう。幼少期と思春期は人生で最も多感な時期だ。この初期の記憶と体験は人格形成に欠かせず、その後の人生すべてに実に大きな影響を及ぼす。2000年以上前にアリストテレスはこう言明した。「我々が幼少期に形成した習慣は非常に大きな違いを生む。すべての違いはそこから生じる」。
脳科学の最新の発見はこの格言に新たな意味を与えつつある。過去15年の研究で、乳幼児の脳で神経回路の形成がどのように始まるのかが詳しくわかった。そして、脳の回路を修繕して深刻な神経·精神疾患を治療する方法も見えてきた。
2. 臨界期とは何か
脳には神経回路の正しい接続を集中的に発達させる時期がある。これらは「臨界期」と呼ばれ、ある回路については数カ月、また別の回路に関しては数年続く。ほとんどは乳幼児のころに生じるが、10代になってから始まる臨界期もある。これまでに、視覚と聴覚、言語の獲得、様々な形態の社会的相互作用に関する臨界期が特定されている。臨界期の間、子供の脳は外界からの刺激と密接な関係を結ぶ。光と音が合図となって脳の分子機械が働き、脳細胞の間を結ぶリンクが敷設され、重要なリンクが厳選されて、その結果が成人後から老年期まで残る。
3. 臨界期のタイミングと影響
臨界期が早すぎたり遅すぎたり、あるいは開始や終了のタイミングが不適切だと、重大な結果を招くことがある。片方の目が見えなくなる、あるいは自閉症になりやすくなるなどの恐れが生じる。例えば先天性白内障で片方の目が周囲からの刺激を得られない乳児の場合、視覚の臨界期(乳児期に始まって8歳までに終わる)の間に脳細胞が適切につながらないために、視覚を失うことになるだろう。いったん臨界期が過ぎてしまうと、問題の眼球を通じた正常な視力を発達させられる見込みは極めて限られたものになる。

4. 臨界期研究の歴史
こうした発達期自体の発見は50年以上前にさかのぼる。神経科学者のウィーセルとヒューベルはこれに関する研究成果で1981年のノーベル生理学·医学賞を受賞した。その後長い間、臨界期はつかの間で、いったん終了すると取り返せないと考えられてきた。だが、分子生物学の手段を用いた近年の研究によって、臨界期に関する従来の考え方の多くが覆った。臨界期の扉を再び開いて脳回路を後から修復できる可能性が動物実験で実証され、人間でも研究が進んでいる。
5. 臨界期の分子メカニズム
これは驚くべき可能性を指し示している。いつの日か、重要な臨界期を回復する化学的スイッチを操作することで脳に自分自身を再配線させ、弱視から精神病まで様々な神経·精神疾患を治療できるようになるかもしれない。それだけではない。乳児の脳での出来事を理解することは、教育者や心理学者、公衆衛生関係者に子供の発達の基本プロセスや両親の監護放棄がもたらす結果について根本的な理解を提供し、脳の成長がそれぞれ特定の段階にある子供にマッチした学校教育をあつらえられるようになるだろう。
6. 臨界期を操作する可能性

脳は幼児期に限らず常に変化している。「可塑性」と呼ばれる特質だ。新たな技能を習得するとニューロンに生化学的な変化が起こり、シナプス間の伝達が強まるか弱まるかのいずれかになる。この単純なタイプの可塑性は生涯を通じて見られる。だがこれに対し、幼いころの臨界期では極めて重大な変化が起こる。乳幼児の脳はまず、シナプスが多くできすぎている状態から始まり、不要なものを刈り込んで整理しなければならない。この構造的な変化が起こるのが臨界期の間なのだ。
7. 臨界期の再起動方法
臨界期の開始と終了を決める分子スイッチが探索され、カギとなる発見はGABAという神経伝達物質の研究から生まれた。GABAは神経活動を鎮める物質だが、パルブアルブミン陽性大型バスケット細胞が臨界期のタイミングを取り仕切っている可能性が高いことが判明した。乳児の脳は常にオンの状態にあり、興奮性ニューロンがやたらに発火している。そこにGABAが秩序を生み出し、興奮·抑制バランスが達成される。マウスの実験では、GABAを下げると臨界期が始まらず、ベンゾジアゼピンを投与すると臨界期が戻った。これは臨界期の開始·終了や長さを正確にコントロールできる可能性を示した。
8. 既存薬による可塑性の回復

この理解は、自閉症や統合失調症などの神経疾患の予防や治療にもつながる可能性がある。動物で試されている方法を人間に適用するにはまだ時間がかかるが、すでに成人の脳に可塑性を取り戻すアプローチが始まっている。臨界期は人生の初期における節目であり、光や音などの刺激が神経回路形成を導く。臨界期における可塑性を引き起こす分子過程の理解が進み、薬物や行動によって成人後でも脳の結線を形成できることが実証された。
9. 過剰な可塑性の危険性
臨界期を再起動させる方法として、パルブアルブミン細胞の移植やペリニューロナルネットの分解が試みられている。ペリニューロナルネットは臨界期終了のブレーキとして働くが、酵素で分解すると新たな臨界期が開き、弱視のラットが視力を回復した。さらに、HDAC阻害剤やアセチルコリン増強薬、抗うつ薬など既存の薬も可塑性を高める可能性がある。絶対音感の獲得や弱視の改善に関する研究も進んでいる。
10. 結論
一方で、過剰な可塑性には危険もある。ペリニューロナルネットは脳細胞を保護するために進化した可能性があり、統合失調症患者の脳ではこれが失われていることが確認されている。アルツハイマー病でも可塑性が維持される領域が最初に損傷を受ける。
