第1回 手足が勝手に突っ張る秘密を解決

 

【第1回】「手足が勝手につっぱる」

その筋肉、本当に「硬くなった」だけですか?

脳卒中後の痙縮を、神経科学から考える

脳卒中後のリハビリテーションでは、こんな訴えを耳にすることがあります。

「手が勝手に握ってしまう」

「肘が曲がったまま伸びにくい」

「歩くと、つま先が引っかかる」

「足首が硬くて、かかとをつけにくい」

「以前より身体がつっぱってきた」

こうした症状を説明するとき、私たちはしばしば「痙縮(spasticity)」という言葉を使います。

しかし、ここで一度立ち止まってみたいと思います。

その手足は、本当に“筋肉が硬くなった”のでしょうか?

実は、この問いは意外に深い。

2026年現在、痙縮は単純に「筋肉が硬い状態」と説明できるものではなくなっています。

むしろ、

脳
↓
下降性運動系
↓
脊髄
↓
反射回路
↓
運動ニューロン
↓
筋・腱・結合組織

という、ひとつの「運動制御システム」の変化として考えた方が、現在の研究を理解しやすくなっています。

 

 


■「痙縮」という言葉は、実はかなり狭い

古典的には、Lanceによる1980年の定義が長く使われてきました。

すなわち、

「速度依存性の緊張性伸張反射の亢進」

です。

簡単に言えば、筋肉を急速に伸ばすほど、筋の抵抗が強くなる。

これが、狭義のspasticityです。

ところが臨床現場では、

「肘が曲がったまま」

「手が握り込んでいる」

「歩行時に足が突っ張る」

「筋肉が硬い」

「力が抜けない」

といった現象を、まとめて「痙縮」と呼んでしまうことがあります。

ここに問題があります。

2026年に公表されたSpasticity X Working Groupの国際的コンセンサスでは、痙縮を、

「上位運動ニューロン疾患によって生じる感覚運動制御の障害であり、他動的伸張時に速度および筋長に依存して生じる不随意の筋活動を特徴とするもの」

として再定義しています。

つまり、現在の議論では、

「筋肉が硬い」

ではなく、

「中枢神経系の障害によって、筋活動の制御そのものが変化している」

という視点が重要になっているわけです。

 

 


■脳卒中で、なぜ手足が「勝手に」動くのか?

脳卒中では、脳組織が損傷します。

その結果、随意運動を制御する神経ネットワークが変化します。

特に重要なのが、脳から脊髄へ下降する運動系です。

通常、私たちの運動は単純な「脳から筋肉への命令」ではありません。

脳は、

「動け」

という命令だけを出しているわけではない。

同時に、

「この反射は抑えておこう」

「この筋肉は活動させる」

「反対側の筋肉は抑制する」

「この程度の力で十分」

といった、複雑な調整を行っています。

ところが脳卒中によって下降性の抑制・促通バランスが変化すると、脊髄レベルの反射回路や運動ニューロンの興奮性にも変化が生じます。

近年のレビューでは、下降性入力と脊髄回路における興奮性・抑制性のバランス変化、伸張反射の脱抑制、さらに運動ニューロンの持続的な内向き電流(persistent inward currents)などが、痙縮・筋緊張亢進の形成に関与すると整理されています。

ここで重要なのは、

「筋肉が勝手に悪くなった」のではない

ということです。

神経系による「ブレーキ」と「アクセル」の関係が変わっている。

そう考えると、「力が抜けない」という患者さんの訴えが、少し違って見えてきます。

 

 


■「つっぱり」と「痙縮」は同じなのか?

ここは臨床上、とても重要です。

例えば患者さんが、

「足が硬い」

と訴えたとします。

しかし、その「硬さ」が何によって生じているのかは、一つとは限りません。

① 神経性の筋活動

伸張反射の亢進や不随意な筋活動。

② 随意運動制御の障害

自分では力を抜きたいのに、必要な筋活動を適切に調節できない。

③ 筋・腱・結合組織の変化

長期間の不動や筋活動の変化によって、受動的な組織特性そのものが変化する。

④ 筋力低下

十分な筋力を発揮できないため、代償的な運動パターンが形成される。

⑤ 痛みや感覚障害

痛みに対する防御的な筋活動や、感覚入力の変化が運動をさらに変化させる。

つまり、

「硬い」という現象を観察しただけでは、その原因は決められない。

これが非常に重要です。

 

 


■「Modified Ashworth Scale」だけで、すべてが分かるのか?

臨床ではModified Ashworth Scale(MAS)が広く使用されています。

簡便であり、ベッドサイドで評価できるという大きな利点があります。

しかし、MASには限界があります。

そもそもMASで測定している「抵抗」は、

神経性の抵抗だけではありません。

筋、腱、関節包、結合組織などの受動的な機械的特性も含まれます。

さらに、MASは速度依存性というspasticityの古典的定義そのものを十分に捉える評価法ではありません。

このため近年では、

表面筋電図(sEMG)

生体力学的測定

筋硬度・粘弾性評価

Tonic Stretch Reflex Threshold(TSRT)

などを用いて、神経性要素と非神経性要素を分離しようとする研究が進んでいます。

ここには、リハビリテーション医学と工学が交差する領域があります。

「触って硬い」

という臨床的観察を、

どの成分が硬さを生み出しているのか?

という物理量へ変換していく。

これは、まさに「医学×科学×工学」の領域です。

 

 


■さらに重要なのは「随意運動」の問題

2026年のAHA科学的ステートメントでは、脳卒中後の痙縮を理解する際に、

不随意な筋過活動だけを見てはいけない

ことが強調されています。

脳卒中後の運動障害には、

  • 不随意な筋活動

  • 随意運動の障害

  • 過剰な筋緊張

  • 反射亢進

  • 受動的組織のリモデリング

などが相互に関係しています。

つまり、

「痙縮があるから動けない」

という一方向の説明ではなく、

「動かしにくい身体の中で、神経活動と組織特性と運動制御が相互作用している」

と考える必要があります。

これは、かなり大きな視点の変化です。

 

 


■「痙縮を下げる」だけでは、リハビリテーションにならない

ここで、治療の考え方にもつながってきます。

例えば、筋緊張が高い患者さんに対してボツリヌス毒素療法を行い、対象筋の過活動が低下したとします。

では、それだけで歩けるようになるでしょうか?

あるいは、

手が開くようになったら、すぐに道具を操作できるでしょうか?

答えは、必ずしも「はい」ではありません。

なぜなら、

筋緊張を下げることと、運動機能を再構築することは同じではない

からです。

だからこそ、

痙縮を減らす
↓
動きやすい身体条件をつくる
↓
その状態で適切な運動を反復する
↓
感覚と運動の関係を再構築する
↓
実際の生活動作につなげる

という考え方が重要になります。

2025年の系統的レビューでも、ボツリヌス毒素療法とリハビリテーションの併用について、痙縮そのものの改善だけではなく、どのようなリハビリテーションを、どのタイミングで組み合わせるかが重要な研究課題として残されています。

さらに2025年のロボット支援療法との併用研究でも、痙縮低下そのものについて追加効果は一貫しなかった一方、下肢では歩行能力やバランスに改善を示した研究が報告されています。

ここに、

「痙縮の治療」と「運動学習」

を分けて考える意味があります。

 

 


■痙縮は「敵」なのか?

ここまで読んで、一つの疑問が生まれます。

痙縮は悪いものだから、すべて取り除けばいいのでしょうか?

実際の臨床では、そう単純ではありません。

ある患者さんにとっては過剰な筋緊張が歩行や立位をある程度支えている場合があります。

逆に、別の患者さんでは、

  • 更衣を妨げる

  • 手洗いを困難にする

  • 装具装着を妨げる

  • 歩行を不安定にする

  • 疼痛を生じさせる

  • 介助量を増やす

など、明らかに生活上の問題になります。

つまり、

「痙縮がある=治療する」

でもなければ、

「痙縮を完全に消す=良い治療」

でもありません。

重要なのは、

その筋緊張が、その人の身体機能と生活にどのような意味を持っているのか

です。

これは、次回以降のシリーズで非常に重要なテーマになります。

 

 


■「硬い筋肉」から「変化するシステム」へ

脳卒中後の痙縮を考えるとき、

「筋肉が硬くなった」

という一枚の写真だけを見るのではなく、

神経系
↓
筋活動
↓
関節運動
↓
感覚入力
↓
組織特性
↓
運動経験
↓
生活環境

という時間的な変化として捉える必要があります。

そして、この視点に立つと、

「いつ治療するのか?」

という次の問題が浮かび上がってきます。

2026年のAHA科学的ステートメントでは、脳卒中後3か月以内を「early intervention」の一つの定義として、痙縮が十分に固定化する前の認識と介入の重要性が論じられています。

一方で、2025年の系統的レビューでは、発症3か月以内の早期介入について、痙縮軽減のエビデンスは示されるものの、活動・参加レベルまで含めた効果についてはまだ十分な研究が必要とされています。

つまり、

「早期治療が重要」という方向性は強くなっている。

しかし、

「早ければ早いほど、何をしても良い」という意味ではない。

この違いを理解することが、臨床では非常に重要です。

 

 


■次回予告

では、

なぜ脳の損傷によって、脊髄の反射回路まで変化するのでしょうか?

そして、

「脳からの抑制が減る」とは、神経生理学的には何を意味するのでしょうか?

さらに、

persistent inward currents(PICs)とは何なのか?

なぜ、筋肉を伸ばしているだけなのに、突然「ガッ」と抵抗が増えることがあるのか。

次回は、いよいよ身体の内部へ入ります。

【第2回】

「筋肉が勝手に縮む」のではない。

脳から脊髄へ、痙縮が生まれる神経回路

痙縮を「硬い筋肉」から「変化した神経回路」として読み解きます。

 

 

 

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